芸州坂の渋川一流

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 芸州伝渋川一流柔術は渋川伴五郎義方を流祖とし、渋川流中興の祖と言われる四代時英の門人である宮崎儀右衛門満義を安芸の国の祖とする。
  宮崎儀右衛門満義のご子息が京都詰めより帰広し、安芸之国中野、波多野兵庫助藤原経範を祖とする秦家の養子となる。そして広島藩に仕え、渋川流、難波流、司箭流を教伝したと伝えられている。

  また、宮崎師範の高弟である宮田多四郎国時首藤蔵之進満時が伊予松山藩の柔術指南役となり、松山において渋川流柔術と浅山流棒術を指南する。
  宮田多四郎国時首藤蔵之進満時の弟であると言われており、この二人が渋川流と浅山流を融合させ、渋川一流柔術と改めた。

 本伝授は宮田多四郎国時の長男である宮田友吉国嗣が継承し、次代を車地國松政嗣へと継承される。
 現在では車地友弘宗家後見のもと、金子定行秀國師範より平成五年一月に車地善光満秀へと継承されている。

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